vol.03 ポスト大震災。いま、できること:トレンドウォッチ:本会の活動・ニュース|質の高い矯正治療と安心の提供に努める矯正歯科専門の開業医団体「日本臨床矯正歯科医会」

vol.03 ポスト大震災。いま、できること

Vol.03 ポスト大震災。いま、自分たちにできること

ポスト大震災。いま、自分たちにできること
転医システム
「約2年半」。これは成人が矯正歯科治療のブレース(矯正装置)を装着する平均的な期間です。人生の中ではわずかな期間ですが、この間に転勤や進学、結婚など、治療開始時には思いもしなかった転機を迎え、やむを得ず通院先を変えねばならない場合があるかもしれません。そんなとき、新しい土地で治療先を探すのは大変なもの。ましてや今回のような災害によって、住み慣れた場所を離れなければならないとなると、なおさら転医先探しが負担になるのではないでしょうか。
日本臨床矯正歯科医会(以下、矯正歯科医会)では、そうした状況に備え、転居などで通院先が変わっても患者さんが安心して治療を継続できるよう、2006年に独自の「転医システム」を構築しました。その転医システムとは、北海道から沖縄まで全国約500名におよぶ会員(矯正歯科医)ネットワークを生かし、主治医が患者さんの転居先にできるだけ近い、信頼できる矯正歯科専門開業医を紹介するというもの。その際、治療費の過不足についても同会の取り決めに沿って精算されます。
「本来、治療計画や治療方針、料金システムは先生によって異なります。ですから、途中で別のクリニックに変わるのは避けられるなら避けた方がいい。ただし、有事の際にはそんなことは言っていられません。実際、今回の震災では、うちから他県のクリニックに10数名の患者さんが転医しました」
と話すのは、福島県で開業する清水義之先生。
清水先生は、進学や就職などで毎春3~4人の転医はあるものの、ここまで一気にというのは初めてだとした上で、
「それでも会員同士のコンセンサスがあらかじめとれていたことで、新しいクリニックへの引き継ぎはスムーズに進みました。どんなときでも患者さんに安心を提供できるネットワークがあるのは、やはり重要だと実感しましたね」
と語ります。
矯正歯科医会では、転移システムを整備するとともに、北海道、東北、北関東…と、全国を13支部に分け、各支部の会員同士が親睦を深めることにも注力。会員同士が日頃から交流をもつことで、「万が一」の際、互いに助け合える関係づくりを行ってきました。こうした地道な取り組みが、今回の震災で力を発揮したのです。
次のページでは、ネットワークを生かした被災地支援の実際をご紹介します。
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ネットワークを活かした
口腔ケア応援セット
地震直後
地震発生直後の様子。模型を並べた棚が倒れ、床をふさいでいる。
矯正歯科医会に加入するクリニックで東日本大震災の被害を受けたのは、宮城県と福島県にある3軒でした。いずれも、壊滅的な打撃は免れたものの、X線装置などが壊れ、カルテや模型が散乱し、数日間はクリニックを閉めざるを得ない状態に。宮城県で開業する伊藤智恵先生は、ものが散乱した診療室を片付け、壊れた機材を修理し、なんとか診療できる体制が整ったのは震災から4日後だったと話します。
「その後、電話が通じるようになってから1週間かけて患者さんの安否確認を行いました。 4月からは通常業務ができるようになりましたが、それでも戻ってきた患者さんは2割程度。家や車が流されて避難所生活を送る多くの方は、歯も磨けず、大変なストレスを抱えて暮らしていらっしゃいました」
こうした被災地の声を受け、矯正歯科医会では日本歯科矯正機材協議会の協力を得て、歯ブラシや歯磨き剤、フロス、歯間ブラシ、洗口液などを詰め合わせた「口腔ケア応援セット」3,000組を用意。4月初旬には被災地の会員の手を経て、各地区の避難所に届けられました。
口腔ケア応援セット
左が子ども用、右が大人用にまとめられた
「口腔ケア応援セット」。
それぞれ小さな桜のシールが添えられている。
「このセットは被災者の方々に本当に喜んでいただけました。単品ではなく詰め合わせてあるので受け取ってから仕分けの手間が省けますし、セットの中に添えられた小さな桜のシールにも温かい気持ちを感じました。これだけの点数のアイテムを迅速に集め、梱包し、送るというのは、人手がないとできないこと。全国組織の矯正歯科医の団体だからこそ実現できた支援の形だと思います」
と伊藤先生。
矯正歯科医会では同時に、被災した患者さんにどのような支援ができるかについて検討を重ね、まずは応急処置対応を全国の会員クリニックに依頼。そして、避難所での生活を余儀なくされている被災患者さんを対象に、5月には「矯正歯科被災者支援フリーダイヤル」を設置(*)し、9月末までの約4か月間で計82件の相談を受け付けました。
相談内容には、「震災でリテーナー(取り外せる保定装置)を紛失したが、クリニックと連絡がつかない。どうすればいいのか?」「被災したクリニックが再開しない場合、新しい受け入れ先と、すでに支払った治療費の返金はどうなるのか?」「矯正治療がもうすぐ終わる段階で被災し、先生と連絡が取れないので、避難先にある歯科医院を受診したが、新たに治療費として約52万円かかるといわれた。被災者への治療費補助などはないのか?」など、さまざまなものがあったということです。
次のページでは、歯科を取り巻く今後の課題についてご紹介します。
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歯科を取り巻く今後の課題
鑑別システムの確立
宮城県で開業する曽矢猛美先生は、今回の震災で矯正歯科医としてというより、一人の歯科医として、非常時に何ができるのかを見つめ直したと話します。
「やはり、歯科医である自分にできるのは口腔ケアです。今回の大震災では、津波で亡くなったご遺体の収容が大規模なために、身元が判明しないまま火葬しなくてはなりませんでした。
そんな中、私は自分にできることとして宮城県歯科医師会からの派遣で行方不明者の検視をしたり、石巻日赤病院で口腔ケアを行ったりしました」
その中で必要だと感じたのは、歯を通じた個人識別システムの構築でした。
ポスト大震災
他地区の歯科医師会や大学などから、
宮城県歯科医師会に届いた支援物資の一部。
「目視で判別できない場合、指紋検査、歯科情報検査、DNA検査が行われますが、ご遺体の状態によっては指紋の採取が難しくなります。かといって、DNA検査は照合装置が少なければ時間も費用もかかってしまう。
一番安価で確実なのは、歯科情報です。自治体ごとに歯科検診のデータをデジタル化して、どこかのサーバにあげて備蓄しておき、なにかのときに照合できるシステムを構築する必要があると強く感じました」
今回は、沿岸部にある歯科医院が津波で被災し、生前の歯科カルテが大量に失われてしまったため、歯の照合も思うように進まなかったと言われています。災害時における歯科情報は、家族と本人を結ぶ大切な最後の絆。この大震災を契機に、歯による個人識別システムを確立することが、津波で人生を突然たたれてしまった方々への最大の供養ではないかと、曽矢先生は語ります。
ポスト大震災
宮城県多賀城市七ヶ浜にある、
津波に襲われた幼稚園に支援に行ったときの写真。
背景は、がれきの山。その前に幼稚園があった。
「園児が亡くならなかったことにほっとし、
『こんにちは』『ありがとう』の声に、かえって励まされました」(曽矢先生)
「緊急時の対応はスピードが命。速やかに行わなければ意味がありません。
その点、矯正歯科医会の有志が被災地に何がほしいかを聞き、必要とされるものを用意して、パッケージにして送った『口腔ケア応援セット』はよかったと思います。
そのとき現地が求めるものを、相手に負担をかけない形でサポートするのがボランティアの精神ですから」
必要な手を必要なところにさしのべるには、相手の状況を正しく知ることが大前提。その上で、専門の異なる歯科医や医師が連携して、患者さんのケアにあたることも重要です。人と人、分野と分野の壁を取り外し、専門性を生かしながら、いかに関わるかを考えること。本当に求められる支援の形は、そこから生まれるのかもしれません。
次のページでは、会という枠組みを度外視して実施されている矯正歯科医会の治療費補助の取り組みをご紹介します。
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治療費補助の取り組み
補助金制度
矯正歯科医会は6月、矯正歯科治療中に被災し、金銭的に治療の継続が困難になった患者さんを対象に、治療継続に必要な診療費の補助を行うことを発表しました。
補助金制度矯正歯科医会が実施する治療費補助は、2011年6月、新聞などのメディアを通じて全国に告知された。
補助の対象となるのは、自宅が半壊、半焼以上の被害を受けたり、世帯主が死亡や重傷、行方不明、失業、廃業、休業している、もしくは原発事故で政府の避難指示の対象となっている患者さんで、一人につき10万円を上限に補助されます。総額1,000万の予算を投じて行われるこの補助金制度のポイントは、同会の会員クリニック以外で矯正歯科治療を受けていた患者さんも対象になるという点。10月現在、すでに71名からの補助申請の申し込みが寄せられ、38名への補助が確定しています。
前出の伊藤先生は、
「被災して困っている患者さんからお金をいただくつもりは、もともと一切ありませんでした。でも、『費用はいりません』と言うと、患者さんは遠慮されます。そして、先生のご迷惑になるなら治療はやめようかと思ってしまわれるかもしれません。実際、『大丈夫ですよ。矯正歯科医会から材料費の支援がありますから。こちらのことはご心配なく』と言うと、皆さん一様にほっとした顔をされるんです。患者さんのそんな表情をみると、この治療費補助のおかげで、患者さんは治療を諦めずに踏ん張る決意を固めてくれたと嬉しくなります」
と話します。
そして、清水先生もこう語ります。
「うちからは20数名の患者さんの補助申請をしています。お一人10万円の補助は大きいですよ。患者さんは皆さん、こうした制度があることを喜んでおられます。私自身、まるで家族のように心配してもらえることで、困難な状況でも患者さんへのよりよい治療につなげようという思いがわいてきます」
一人ではできないことも、団体でなら可能になる。同じ専門家同士のネットワークだからこそ、被災した場合の困難が理解できる。お互い様の精神で助け合う姿勢が、ひいては患者さんへの質の高い治療の維持することにもつながるのです。
次のページでは、実際に治療費補助の申請を行った患者さんのお話をご紹介します。
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患者さんのお話
温かな支援に感謝
去年の秋に矯正治療スタート
ポスト大震災自宅近くの一般歯科で、去年の秋から娘・あやね(現在小学4年生)の矯正歯科治療を始めました。娘は乳歯のときから歯並びが悪く、幼少期からむし歯の治療やフッ素の塗布で、ずっとその歯科医院に通っていました。そして、永久歯に生え替わってからさらに歯並びがガタガタになり、先生からも矯正を勧められたので、ごく自然に治療をスタートしたという感じです。
まずは昨年11月、ガタつきがひどかった下の前歯にだけ、ブレースをつけました。あやねにとって痛みが強かったのか、歯科医院に行くといつも泣いて、2~3日続けて鎮痛剤を飲み続けなければなりませんでした。でも、歯並びを整えるためにはしかたがない、そう思っていた矢先に東日本大震災が起きたのです。自宅は福島第一原発から10キロ圏ですが、夫の会社はわずか1キロ圏。汚染がひどく、立ち入りもできず、退職するか、石川県にある支社に異動するか、どちらかを選ばなければなりませんでした。結局、着の身着のままの状態で石川県に越してきたのが3月下旬です。
治療費の返金はなし
福島県から石川県にやって来た当初はお金もないし、どうしていいかまったくわかりませんでした。 あやねの矯正治療に関しては、最初に一括で60万円を払っていたのですが、震災後、歯科医院の電話がつながらなくなり、どうなるのだろうと不安を感じていました。たまたま、他県で一人暮らしをしている大学生の長男がその歯科医院の息子さんと同級生だったので、息子さん経由で先生の携帯電話の番号を教えてもらい、なんとか奥さまとお話しできました。さっそくお電話をして返金について尋ねたところ、カルテがないとわからないというお返事でした。
そこで、一時帰宅が許されたときにカルテを見せてもらい、「治療して半年だし、この状況なので返金してほしい」と再度お願いをしましたが、娘の場合、半年間に診療時間外の通院も多かったので返金はないと言われてしまいました。
一軒づつ電話
途方に暮れながら、石川県の保健師さんに相談して、地元の矯正歯科医院のリストを出してもらい、一件ずつ電話をしましたが、たいていは「今後、治療するならまた全額必要」というお返事でした。また、何軒かのクリニックには直接あやねを連れて行ったのですが、「うちでは、もうこういう治療はしていない」「半年で60万は高い」などと言われる始末。改めて矯正歯科医院はいろいろなのだなと思いました。
いっそ、治療を中断しようか、とも考えました。なんといっても、今後の生活がどうなるのか、お金がないのが一番の不安でしたから。でもその反面、できれば治療を続けたいという気持ちも強くありました。ほかの方から見ると矯正治療は贅沢にうつるのかもしれませんが、見かねるほどひどい娘の歯並びをなんとかしてやりたかったのです。
補助金によって
そんなとき、リストを見て訪ねた医院から紹介されたのが、矯正歯科医の窪田正宏先生です。窪田先生はこちらの話を親身に聞いてくださり、「毎月2,100円の調整費のほかは全額支援する」と言ってくださいました。本当にありがたかったです。そこに窪田先生が所属する矯正歯科医会から補助がおりて、治療費(調整費)に充てられることになりました。
不思議なことに、以前はあんなに泣いて痛がっていた娘が、窪田先生のところでは一度も泣かず、痛み止めとも無縁です。おかげさまで、ガタガタだった歯並びも今では少しよくなりました。
福島県から石川県にきて、半年以上が経ちました。最初は、不安で、不安でしかたありませんでしたが、いろんな方の温かいご支援を受けて今日までやってきました。多くの方の思いによって、私たち家族が支えられているのだと、今、改めて思っています。
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