第二金曜会として発足
昭和40年代、佐藤長期安定政権のもと経済成長と保健制度の拡大定着とが相俟って、本邦においても、僅かではあるが開業矯正歯科医の誕生迎えた。たまたま、これら矯正歯科医の数人が集まる機会があり、その席で臨床矯正研究会の設立が話題となり直ちに首都圏の9名により昭和45年3月に第二金曜会が誕生した。
全国組織として「日本臨床矯正歯科医会」発足
首都圏外の矯正歯科医の入会に伴い、会則や選挙規定などを整えて、昭和48年1月に全国組織として日本臨床矯正歯科医会(Japan Society of Orthodontists)と名称を代え、会員20名をもって再発足。
昭和48年6月8日赤坂東急ホテルにて、日本臨床矯正歯科医会第1回総会開催。小森昭二など各氏の講演を含む活発な総会となった。
7月12日岐阜グランドホテルにて、
日本臨床矯正歯科医会第2回総会を開催
総会テーマ:下顎前突の治療時期について
シンボルマークを制定
昭和54年、例会を年3回に 全国を7地区に分け、地区長を置く
昭和55年、新会則、倫理規定、役員選出規定を制定
昭和56年、トランスファーフォーム作成
6月10日東京ホテルニューオータニにて、
日本臨床矯正歯科医会10周年記念総会開催
特別講演
「日本臨床矯正歯科医会の歩み」
大坪淳造会員
「歯科医業経営の将来」デンタルビジネスマネージメントセンター 辻中保夫代表
「矯正歯科医の将来展望」愛知学院大学:飯塚哲夫教授
「矯正歯科医の将来展望」愛知学院大学:飯塚哲夫教授